マロの「いっぷくどうぞ」

妻と娘の三人暮らしのサラリーマンが書きます。

友人が約10年間、薬の売買を続けていて辞めてくれない

一緒に農学系の大学院を修了してから約10年間、ずっと薬の売買をしている私の親友の話です。

仮にM君とします。

 

 

M君との出会い

M君と私の出会いは大学で、私はM君の一学年先輩です。

たまたまM君は私と同じ研究室に配属になりそこからは2~3年ほど同じ研究室で密な時間を過ごしました。

M君はスポーツ万能で、社交性も高く私はすぐにM君と打ち解けました。

 

僕らは大学院前期課程まで進みましたが、超人的な研究成果を上げる同期や年の近い先輩を目の当たりにして研究を仕事にすることをあきらめました。

 

才能がなかったのです。

 

大学院修了後は私は地元の中小企業の営業職に就きました。

これまでやってきた農学の研究とは完全な畑違いでしたが、自宅から通えるというだけが取り柄のなんとなく受かった会社に行ってみることに決めました。

 

M君は薬の売買にどっぷりハマっていく

M君は当時、私と同じように就職活動をしていました。

そして、どのような経緯があったかは詳しく聞いていませんが彼が選んだのは、

薬の売買で生計を立てることだったのです。

 

もちろん、大学時代に彼が薬をキメているところは見たことがありませんし、売買に手を染めているような臭いは一切ありませんでした。

悪そうな仲間もいなかった。

 

社会人になった私とM君は、その後も連絡を取り続け年に数回は飲みにいっていました。

 

中国人の客から直電で価格交渉

夏に二人でキャンプに行った際、車で移動した時の話です。

M君の携帯には頻繁に仕事の仲間や「客」から電話がきます。

仕事仲間からは

「アレの置き場はどこか。」

「客ともめて困っている。」

など相談の電話きていました。

 

また「客」から直接電話くることもありました。

中国人の客がまとめ買いをしたいらしく価格の交渉をしていました。

いわゆる「爆買い」です。

「いついつ入るからその時に取りきてくれ。」

「アレは自分がいるときじゃないとダメだ。」

など、「仕事」の話をしてました。

 

またその中国人の連中に気に入られ、一緒に食事に連れていかれたそうで、さすがにその時は怖かったと言っていました。

中国人は価格にはシビアだが、たくさん買ってくれるから助かっているとM君は言っていた。

こんな電話がたびたびくるわけですが、しっかりキャンプを楽しんでいたM君は本当にすごいと思いました。

 

薬の売買に昼も夜もない上に危険な仕事

仕事内容はやはりハードだと言っていました。

夜かなり遅いこともあれば、早朝から仕事に行ったり。

 

また、「客」とのトラブルも頻繁に起こるそうです。

取引後にこっそりつけられていて自宅を特定されることもあるそうです。

仕事がら警察に通報するわけにもいかない。

警察は現行犯でなければ逮捕できない。

 

私は何度も説得を試みた

不規則な生活で、クレーマーのような危険な客を相手に商売をしているM君がとても心配でした。

M君も実際に、そろそろ辞めたいという声を漏らすようになってきました。

 

私は、最初に努めた中小企業がブラック企業だったこともあり転職をしました。

自分で言うのもなんですが、結構な規模の大企業に転職できました。

www.maro-ippuku-douzo.com

 

不慣れなホワイトな職場環境に苦戦しながらも楽しく仕事をしています。

 

自分の成功体験をM君に伝えました。

「お前はいつまでその仕事やってんだ。」

「今は人手不足で、企業も人を欲しがっている。」

「M君ならもっと他の場所がある。」

 

そしてM君はこう言います。

「確かに、土日休みとかいいですね。」

「こういう仕事だと同僚もちょっと変な人が多くて。」

「僕らは底辺だと思ってやってるけど、給料はそこそこあるし・・・」

 

こんな感じではっきりしない返事を繰り替えずばかりでなかなか薬の売買から足を洗おうとはしません。

 

会うたびにこんなことをいうのも嫌なので、とうとう私も彼に他の仕事を進めることをやめました。

 

そして月日は経ち・・・

彼は現在も東証一部上場の日本再大手のドラッグストアで働いている。

ドラッグストアの店長は本当に大変な仕事だと思うが、本人は出世したいと言っている。

彼は、ドラッグストアは単なる薬を売買するところだけではなく、日本の地域医療を支えているんだというようなことも語ってくれました。

私は彼の応援することにしました。

M君がどこまでいけるか楽しみにしています。